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適応障害になった旦那の、休職から復職までの流れ。

出向が原因で適応障害になり、休職することになった旦那

約10ヶ月前くらいにめちゃくちゃ仕事が忙しくなった時期があり、その頃から「疲れが取れない」と常に言っていた旦那。

今の仕事にやりがいを感じているから、忙しいながらも多分本人なりに奮い立たせながら仕事をしていたみたい。

ずっと駆け抜けてる感じ。

 

とても頑張っていて、周りからもそれなりの評価を得られるようになってきたところ...

突然、引き抜かれる形で親会社に出向命令が。

当時抱えていた仕事も多いし、チームの仲間からもいなくなったら困ると言われたものの親会社には逆らえない。

仕事内容も畑違いだし、本人的には全くやりたくない仕事なのが私にとっても気がかりだった。

 

旦那は過去ににうつの経験あり

旦那は13年くらい前に一度重度のうつを患ったことがある。

その頃まだ結婚はしていなかったけど、先が真っ暗になる感じとはこのことか、と...。

前回は彼は単身赴任をしていたのでほぼ遠距離恋愛状態だったから、彼がどれくらい追い込まれているのかも気づけなかったのね。

私は一緒に心療内科に行ったり、カウンセリングに連れて行ったりして、接する側の対応を聞くために私だけ一人でカウンセリングを受けたことも。

 

彼の治療法は主に投薬と認知行動療法

かなり重度のうつだったけど、認知行動療法が絶大な効果を発揮

本人の素直な性格も幸いして、カウンセラーさんもびっくりな速さで良くなっていった。

それでも、仕事ができるくらいにまで回復するには10ヶ月くらいはかかったかな。

その頃のこともまた別記事で書こうと思いますが、まぁかなり大変な日々でした。

 

今回は私が先回りをした

旦那は真面目でストレスを溜めやすい性格なのはよく知っているから、きっとまたメンタル面を崩す日が来るだろうなと覚悟していた私。

いざという時のために知識をつけたいと思い、ヒューマンアカデミー(たのまな)のメンタルケア心理士」の資格を取得

実際私がカウンセリングをするわけではないけど、知識があればちょっとした変化に気づくことができると思ったから。

前回、あんな重度になるまでうつを拗らせたのは、周りの人が気づいてあげられないまま、時間が経ち過ぎたからだと思う。

 

適応障害を見過ごし、無理に無理を重ねた結果、うつに移行してしまった感じ

私は資格を取って(というか、勉強して)本当に良かった。

今、このままだとまずい、休ませなきゃいけない!というタイミングに気づくことができたから。

 

仕事のことは家ではほとんど話したがらない旦那だけど、明らかにストレス溜めていると感じた頃から、

私から積極的に「疲れてるんじゃない?いつでも休んでいいんだからね〜」と声をかけるようにした。

 

本心は休みたいのに、家族に言いづらいこともあるかもしれない。

だから、なるべくそう感じないようにさせようと。

 

nyanzu
nyanzu
有給あるんでしょ?休めるときに休みなね
nyanzu
nyanzu
きついなら今日午前休とれば?
nyanzu
nyanzu
今週はテレワークすれば?

 

など。

幸いなことに、職場の制度的にはとてもクリーンで、休みは取りやすい環境。

それは本当にありがたいことでした。

 

出向後1ヶ月目から明らかに異変が

そんな感じでなんとかやり過ごしていたところに出向が決まり、1ヶ月経った頃から目に見えてガクッと不調に。

日に日に笑顔がなくなり、口数が減り、眠れない日が続き、食欲もない。

些細なことで、子供にも些細なことでイラついている様子。

 

あー、これはそろそろドーンとくるな。早ければ数日以内に。

と悪い予感しかしない。

休めば?と言っても、出向して1ヶ月じゃ休むなんてできないと言い、無理して行っていた。

 

ある日、家を出る時、心底疲れた表情で、深いため息をつきながらほんの一瞬チラリとこちらを見た気がした。

ここ最近目も合わせようとしてくれなかったから、なんか違う、と思った。

妙に胸がざわつく。

 

あ、今日はきっとこのまま仕事に行けない

でも帰ってくることもできない

きっとどこかで時間を潰すんじゃないか…

そんな予感がした。

 

そして家を出てから1時間後。

「行かなきゃだめだよね」

とLINEが。私の読みはドンピシャ的中。

 

でも、それと同時に、連絡をくれたことにとてつもなく安心した。

連絡をくれないまま、どこか知らないところに行くかもしれないと思ったから。

連絡くれたことに安心して、とっさに

「休んじゃえ!!」

と返信した。

 

それと同時に、これは絶対に受診しないと悪化すると確信した私は、すぐに近くの心療内科に片っ端から電話。

なるべく早い段階で受診させようと思った。

 

心療内科の初診が2週間待ち

旦那の許可は得ていないけど、絶対に受診させようと決めた私はすぐに診てくれる心療内科があるかひたすら問い合わせ開始。

でも、どこもいっぱい。

初診は最短でも2週間待ちのとこばかり。

 

確かに今は3月。

新しい環境に身を置く人も多くて、みんな不安定になりやすいよね。

でもダメだ、今の状態で2週間は長い。

その間に何か最悪の行動を起こしてしまうかもしれない。

 

すぐに診断書をもらって休ませないと、また13年前と同じことになってしまう!

13年前の悪夢が蘇り、思い出すだけで血の気が引く。

動悸がしてくる。

 

でも本当にどこも予約がいっぱいで全然空いてない。

これはもう諦めるしかないのか…

 

そんな時、ふと頭によぎったのが普段たまに行く総合病院。

ずっと「心療内科」で検索していたから検索に引っ掛からなかったけど、そこの総合病院には精神科があったはず!

すがる思いで電話をすると、なんと初診に限り予約はいらないとのこと!!

 

やったーーー!!!助かった!!!!!!

早速翌日の予約を入れました。

 

総合病院の精神科へ

急遽仕事を休んだ日、案の定すぐには帰ってこなかった

あてもなくふらふらと時間を潰したらしい。

夕方帰宅したので、単刀直入に言った。

 

nyanzu
nyanzu
明日、病院行こう。早い方がいいよ、大丈夫、今ならまだ間に合う。

 

旦那は、情けないと言って泣き出したものの、受診には素直に応じてくれた。

旦那が私の前で泣いたのは13年ぶり。

そして、「予約してくれてありがとう、本当は自分も行きたいと思ってたけど予約する気力さえなかった」と。

後から聞いて知ったけど、直近1ヶ月の間に2回も自殺未遂を図ったらしい。

やっぱり、相当な状態だったんだ。

過去のうつの経験があるから、自分でもまた同じ状況になるのは恐怖らしく、

なるべく早いうちに対処したいと思っていたのは本人も同じでした。

 

適応障害の診断を受け、診断書をもらう

翌日、予定通り受診。

しばらく問診を受け、適応障害の診断が出た。

「約2ヶ月半の休養を要する」という診断書を書いてもらい、帰宅。

そのまま休職が決定。

 

まだまだ抑うつ状態は続くけど、休職が決まって少しだけ気が軽くなったみたい。

13年前に本格的なうつになった時は、朝も昼も関係なく布団に潜りこみ、

この世から消えてしまいたいと思う自分と必死に葛藤している様子だった。

趣味にも興味を示さなくなって、いつも泣いている状態。

時にはパニック症のようになって外に出られないことも多々。

 

13年前のうつを知っているからこそ、今回のがうつではなく「適応障害」だってことがよくわかる。

これはひとえに私がメンタルケア心理士の勉強をして知識がついたおかげだと思ってる。

13年前のお先真っ暗な状態とは違い、正しく休み、正しい対処をすれば必ず回復する。という強い自信があった。

 

適応障害の特徴

分類:心的外傷やストレスによるもの

原因:明確なストレスを伴う何らかの出来事・環境

発症時期:年齢関係なく発症

持続期間:急性の場合は、ストレス要因から離れれば6ヶ月以内に改善する

 

休職して2週間経過

最初の頃はまだまだ落ち込んでいて、眠れない日々も続いている様子だったけど、

自分で意識して仕事のことを頭から切り離そうとしている感じだった。

休職前に比べたら、徐々に良くなっているように見える。

 

今の時点での落ち込みの理由は、

  • 出向してすぐにこんな状態になってしまったことへの後ろめたさ
  • 復職後にまた出向先に戻るならまた同じことになってしまうという恐怖
  • 過去のうつのこともあり、自分は弱いのか?という自問自答
  • 休職中の収入面への不安

こんな感じ。

休職中はもちろん収入がなくなるので、「傷病手当」を申請することに。

その会社が加入している保険組合によって多少内容は違うかもしれないけど、

うちの場合は「月給の約6割を支給」というものだった。

でもこれは毎月の給料のように支払われるわけじゃないのよね...

定期的な通院の時に医師に書類を書いてもらい、それを提出して数ヶ月後に振り込まれる...って感じ。

 

だから、この休職中はほんとに無収入

それでいて、会社で加入してる社会保険料は毎月引かれていく。

給与明細はマイナス表記になるの。恐怖!!!

 

そのマイナスはどうやって払うのかというと、傷病手当が振り込まれる時に相殺されるっていう...

だから、やっと傷病手当入った!と思ってもちょっと目減りしてるのね。

なけなしの貯金を崩しながらなんとか生活...

いやほんっとキツかった。

 

休職して1ヶ月半経過

かなり良くなっているように感じる。

会社の産業医との電話面談があって、復職後の部署についての話が出たらしい。

そこでしっかり「出向先には戻りたくない」と伝えたって。

 

その翌週に直属の上司から電話が来て、

産業医との相談の結果、出向する前にいた元の部署に戻すことが決まったって報告が。

 

それを機に一気に安心したみたいで、復職への意欲も湧いてきたみたい。

それからというもの、自分でも生活リズムは正しくしようと意識している様子がみられるようになった。

処方されてる薬は「デパス」と「サイレース」。

特にサイレースは本人に合っていて、よく眠れるんだって。

自分の場合、だいたいどれくらいで薬が抜けるかわかるから、なるべく朝9時までには起きられるように逆算して飲む時間を決めてたみたい。

 

13年前のうつの時は完全に昼夜逆転したり生活リズム最悪で、自分ではコントロールできない様子だったから、やっぱり今回は前回とは全然違う!

時には仲の良い同僚の誘いで外に食べに出ることもあったりして、休職前と比べたら随分肩の力が抜けてる感じ。

家族も絶対にプレッシャーを与えないようにして、とにかく今はゆっくりしな!!!というスタンスに徹した。

 

休職して2ヶ月経過

家の中ではかなり旦那本来の性格を取り戻した感じがする。

予定では2週間後に復職ということで、上司との電話面談もわりと具体的な話が出始めた

しばらく完全に仕事から離れていたから色々な状況が分からず不安がっていたけど、具体的な話をする中で復職後のイメージが掴めたのか、今までにも増して生活リズムを整え始めた。

 

復職当日〜

2ヶ月半ぶりに仕事着を着る。

初日はまずは上司と面談して帰るだけ。

周りの目や反応が気になると言って、かなり緊張した様子で家を出て行った。

 

昼前に面談を終えた旦那から電話が。

緊張しながら電話に出ると、思ったよりは少し元気な声だった。

「今から帰る。みんな、こっちが拍子抜けするくらい今まで通りに接してくれた

本当に、今までの部署の皆さんには感謝しかない...

 

その後は徐々に勤務時間をのばしていって、約2週間かけて元の勤務時間に戻していった。

やりがいを感じてた元の仕事をすることができて、そこからはどんどんよくなっていった感じ。

 

復職後1年経過

一時期は自殺未遂をするほどまでに精神を病んだものの、1年経過した今はすっかり元の旦那に戻りました。

一時的なストレスで短期間落ち込むことはあるけれど、それは当時のあの状況とは全くの別物。

疲れたと感じたら絶対に無理せず、うまく有給など使いながらコントロールできるといいなと思ってます。